『日本一のブログ道』プロブロガー藤井洋輔(ふじいようすけ)の『新しい遊びを紹介するブログ』@yuricafeブログ

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警察官が身内のパトカー衝突事故事件をもみ消しした話in愛知県

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警察官が身内のパトカー衝突事故事件をもみ消しした話in愛知県

 

やぁよーすけだ。

 

今は25歳で友達や彼女と飲食店を経営している。

だが、よくよく振り返ると、僕は19歳まで警察官を目指していた。

大学は法学部に入り、そのままいけば大学を卒業して警察官になっていた。

そして、今回は、その警察官を辞めるキッカケになった話をしようと思う。

人生の中でも衝撃的だった事件の1つ。

ただ、6年前の話なので、大枠と強烈なインパクトのあった部分以外は、あいまいにしか覚えてないです。

なので、ノンフィクションだけど、フィクションな部分もあるんじゃないかぐらいの感じで見てくれると嬉しいです。

 

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結論だけ言っちゃうと。

19歳の時に僕の親友の女の子が、パトカーの不注意で衝突事故に巻き込まれた。

そして全治半年の怪我を負ったものの、結果として、権力と圧力でもみ消しされてしまった話。

そして、親友が行方不明になった話。

 

大学では法学部に入り、警察官の公務員試験の勉強をしていた

警察官になりたかった理由はシンプル。

ただあの雰囲気もかっこいいし、全国の多くの人を救う「みんなの正義のヒーロー」みたいなイメージがあって。

この仕事は胸を張って生きていける仕事なんだろうなーって思ってたから。

そんな僕は、東海で1番警察官の就職率が高い大学の学部に入って勉強をしていた。

 

 

19歳の10月、ふと事件は起こった。僕の親友がパトカーと事故になった。

当時、僕の実家で、一緒に住んでいた親友がいた。

親友は自転車通学をしていて、青信号を渡ろうとした。

そこに信号無視をした車を緊急車両で「ウーウー」鳴ってるパトカーが来て、自転車の横にぶつかり衝突事故になった。

結果は、パトカーはフロントがボコんとへこみ、親友の自転車は一発で大破された上に、体は跳ね飛ばされて地面にぶつかった衝撃で色んな場所を骨折し、即病院送りの全治半年になり、当分の間学校に行けなくなった。

 

音を察知できなかった親友も悪いが、きちんと止まって確認しなかったパトカーも悪いのではないかと当時は思っていた。

ただ、別に僕が当時衝撃的だったのはそこではなかった。

 

とある警察官の偉い人からの電話。こわいな。おい。

そして、そこから数日後、親友の体を心配しながらも、親友とたわいもない話をしてるところに、たまたま親友の電話番号に、愛知県警から電話がかかってきた。

もちろん電話を取ったわけだが、相手は当時、警察官の中でも偉い感じのポジションの人が電話口の相手だった。

最初は、「謝罪の電話なのかな?」と思っていたのだが、電話内容はかなり強烈だった。

細かい言葉までは覚えていないが、脅し口調で、「親には言ったの??親には言わないようにね!周りの人にもパトカーと事故したっていうのは言わないようにね!」とか、

「変なこと言ったらどうなるかわかってるよね?パトカーへこんでるから損害賠償することもできるんだよ?60万ぐらいかな〜。今学生だからお金ないでしょ?」といった、200%脅しの内容だった。

親友も圧迫されているようで、「はい。はい。わかりました。」しか言えずに、そのまま電話は切れた。

 

警察の圧力に怖かったであろう親友は、電話が終わったと同時に、崩れ落ちるように泣き始めた。

 

僕はその隣で理解しがたすぎる状況に何も言えず10分ほど黙って考えた。

「あれ?これってなかったことにしろってことだよね?」

「なんでこんなにえらそうなんだ??」

「警察官ってこんなクズみたいなことする仕事なのか?」

「テレビとかで、警察がもみ消しとかみたことはあるけど・・・。」

「警察官の友達がそういや、そういう世界だよって言ってたな〜。あれ本当だったのか」

「おれって仮に警察官なって続けて、昇進しようと思っても、こんな人間にならないとダメなのか?」

「ん??これって夢か?嘘か?ドッキリだよな!え?そうだよな。」

色んな事が頭をよぎった。

 

 

勇気を出そう。親友のために。自分の未来のために。

そして、泣いている親友の隣で僕は決心した。

「親友に俺ができること、やれるだけやってみよう」

と思い、僕と親友は、あちら側の親族や僕の親族にその電話の内容を一部始終そのまま伝えた。

そして、その日の内に警察署まで親友と僕と僕の親族2人で、電話で今から訪れるという電話をし、警察署へ訪れた。

そして、その電話の内容について、話し合いをすることになった。

 

脅し電話をしてきた張本人がきた。

受付の警察官に事情を説明し、電話をかけてきた張本人が、やってきた。

あちらがわの最初の第一声はで「なにしにきたんすか?」という言葉だった。

僕は心の底から「なにしにきたんすかじゃねぇよ!!!てめぇの電話対応が原因なんだろが」っと思いながらもグッと気持ちを込めていたら、僕の親族がまさかの僕の100倍ぐらいの勢いでブチギレた。

警察署にある机をグーでドーンと叩き「ふざけてんのかテメェ!オメェの電話内容がおかしくて、ここに来たんだろが!おめぇは学生の女の子おどしてたのしいんか?きもいな!おい!!キモおやじだなおい。」とめちゃくちゃ罵倒し始めた。

そうすると、張本人の警察官は5秒ぐらい黙り、「・・・。キモおやじはどうかとおもうけどな・・・。」

 

僕は、「いや!めちゃ傷ついてるやん!!笑」と内心思ってしまった。

もはやコントを見てるのかと疑うような、小学生の喧嘩みたいになったのと、親族が僕の思っていたことを全部言ってくれたすっきり感から、不覚にも笑ってしまった。笑

 

カオスな状況

そこからも、二時間ほど、親族からの罵倒と、警察官のやりとりは続き、結果としては電話の内容は認めたが、謝罪はして来ず。

親友は、その状態を見てパニックになり、号泣し始めた上に、

警察官の「まぁ別に訴えたければ訴えればいいですし、好きなだけ好きなことを言えばいいと思います。こっちはなんとかできる力あるんで。運が悪かったですね。」

という言葉で、親族の内のもう一人が、「まーはこれ以上話ししてもラチがあかないので、今日は帰ろうよ」とブチギレている親族を止めて、

「まーもーいーわ!!お前らがクズだってことはわかったわ!!!」と言って、その場は終止符を打った。

ようは、完全にもみ消しということだ。

親友が行方不明になった

その後日から、学校に行けないということもあり、親友は親友の実家に戻ることになった。

ただその2週間後に、親友の親から電話がかかってきて、「家にここ数日帰ってこない。連絡もつかない。」

そう。行方不明になったのだ。そのあと警察への捜索願と、僕や親族達で必死に探した。だが、もちろん見つからない。

 

当時の僕はその大2の事件がかなりショックだった。

「俺の実家に住んでなかったら事故にならなかったよな・・・。」「俺が警察署に直接言いにいこうっていう気持ちが、親友のプレッシャーだったのか?・・。」

とか、全部自分が悪いんだと、せめてせめて攻めまくった。

「もしかして自殺したのか?」考えたくないが、考えてしまう僕もいた。

 

そして、そんな自分が嫌になり、人と会うのも嫌になり、家に引きこもるようになって大学にもいかなくなってしまった。

「おれのせいだ。」「おれのせいだ」「おれのせいだ」当時19歳で、メンタルが弱かった僕は、頭の中をその言葉が駆け巡った。

 

考えた。ぼくは警察官という仕事になりたかったのか。

それに伴って、僕は「警察官という仕事になりたいのか?」と深く考える時間にもなった。

「俺はあんな人みたいになりたくない。」「あんな人しか昇進できないのか。」「周りのそういう事態を知ってる、新人警察官は、暗黙の了解で、はい。はい。と言わないと続けれない仕事なのか。」

そして、僕は「俺が目指してるのは、警察官じゃない。」と気付かされたきっかけにもなった。

 

その3ヶ月後、親友は見つかった。岐阜で隠居してたらしい。

少しずつメンタルは回復し、大学にもチョロチョロ通い始めていた時に、

親友の親から電話が来た。

内容は、岐阜の友達の家に気持ちが落ち着くまで住んでいたとのこと。そして実家に帰ってきたとのこと。

「無事でよかった。」と本気で思った。

そして、物凄く重たい荷物なのに「軽い軽い!!」と無理をして嘘をついていた僕の肩から、全荷物がスッと降りた感覚があった。

 

結局その後、親友になぜ行方不明になった話を聞いたら「当時、怪我して学校行けなくなってメンタルがしんどかった上に、警察官からの圧迫と、警察署に一緒に行った時にも、よーすけとか親族に迷惑かけてるんじゃないかと思ったら、耐えれなくなって」「今はだいぶ心が落ち着いた。心配かけてほんとごめん」

と言ってもらった。体もまだ全然治ってないけど、病院はちゃんと通って、前よりは良くなってきたとのこと。

 

親友のためだと思ってやったことは、親友のプレッシャーへと変わっていたのだ。

正義だと思ってやっていたことが、悪だったわけだ。

当時、本当は僕がただ親友の隣に、一緒にいるだけでよかったのかもしれない。どうなんだろうね。

 

さいごに。

この話を知ってる一部の人は。「警察官っていう仕事って、今も嫌い?にくい?」と聞かれたりも何回がある。

だが、僕の中でそれは「NO。」だ。

当時は憎かったし、嫌いだったが今考えると、当時はあちら側にも家族がいたと思うし、大事な人がいたと思うし地位や名誉や、守りたいものがたくさんあったと思う。

そう思うと、「あっちにはあっちの正義があって、それを守るために、その人なりに貫いただけなのか。」とか同情してたら、なんか「まぁいっか。」となってしまった。笑

むしろ警察官という仕事は、今ではめちゃいい仕事だと思ってるし、尊敬している仕事だ。

 

あと、結局その後大学行く意味がわからず19歳で大学を辞めて、仲間たちと起業して、今なんだかんだ楽しく生きれてるので、まぁある種、感謝している。笑

だし、親友も生きてるし、俺も生きてるし、まーよかったよ。本当に。生きてりゃ未来は明るい。

 

今回の記事、覚えていることをひたすら羅列した感じなので、ちょくちょく抜けてるところや、よくわからなかったところもあると思いますが、見た人、各自の妄想で勝手にたのしんでください。笑

長くなったけどさいごまでみて見てくれてありがとう。

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